ボール拾いはするべきなのか

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オリックスバファローズ時代、あるコーチが私に言った。

「ボールなんか拾ってやらんでええんよ。自分で拾わせろ。裏方とか、自分らが拾ってやるから、あいつら適当に打つんや。自分で拾わせろ。そしたら、拾うのしんどいから、もっと丁寧に考えて打つんや。自分でやらせろ!」

私はその時、一理あると思った。そのコーチは、大ベテランのコーチで、あらゆるポジションでコーチをしてきた人だ。そんなベテランのコーチが私に言った言葉だった。。

それは、野手の最後の特打の練習だった。2か所のゲージで、バッティングピッチャーが投げる球を、2人がずっと打ち続けるというものだ。その頃になると、大半の選手は、練習を終えており、裏方もコーチもたくさんの人がボール拾いができる状況だった。外野には、結構な人数が、2人の打つボールを拾って集めている。選手は、休むことなく打ち続けられる。恵まれた環境だ。

しかし、そんな状況を見ていたコーチが、打っている2人を見て思ったのだろう。

『惰性で打っている。』と。

1球のボールを打つ練習をするために、どれだけたくさんの人が関わり、時間と体力を使って、その選手のために尽くしているのかを。あの2人は、今感じていない。拾ってもらって、当たり前かのように映ったのだろう。もちろん、私も含め、ボール拾いをしている人たちは、少しでも効率よく、選手に数多くの練習をしてもらうために自分たちが手伝うべきだと思って、ボール拾いをしている。

しかし、もしそれが、効率ばかりを考えて、『本当に選手のためになっているのか?』

と言われたら、すぐに答えられない。確かにありがたみはないだろう。

バッティングマシンの時でもそうだ。自分で鳥かごでバッティングをしても、通常なら、ボールを打ち終わったら、自分で拾わなければならない。しかし、全自動で打てるマシンなら、拾うことはしなくてもいい。ずっとずっと打てるのだ。もちろんを打つことだけを考えて、たくさん反復練習ができるメリットはある。しかしながら、私がいつも言うように、人間がやっているのだ。ボールの事など何も考えず打てるのだったら、時には惰性で打ってしまうこともあるだろう。数をこなしている。時間が長い。自己満足。そこが問題なのだ。

いつも言うように数ではないのだ。どれだけ心を込めて、試合を想定して練習しているのか。そこが一番大切なのだ。そこからの数なのだ。

皆さんもないだろうか?

選手のために良かれと思ってやっていることが、実は逆に作用していることがあることを。

選手のために、子供のために、良かれと思って、助かると思って、数多く練習できると思って、効率よくできると思って、していたことが実は・・・

優しさが、時にはいらないこともある。

 

 

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