近鉄バファローズ時代、ある年の宮崎県日向市での秋季キャンプ。
チームとして、メンタル面の強化という目的で、当時有名なメンタルの講師を招きました。
全日本のサッカーにも指導していた有名な方です。書籍もたくさん出されている方でした。
ある日の夜、19時ぐらいから、2時間ぐらいの時間を設けて、宿舎で講義をしていただきました。
最初に、サッカー全日本チームについての、指導の場面を映像で見せていただき、何故、メンタルトレーニングが必要なのか?実際にどういった指導をしてきたのか。その成果はどうだったのかということ。そして野球選手、近鉄の選手には、どういった事が必要と思われるか。といったような内容でした。
当時、日本のあらゆる競技において、少しづつメンタルトレーニングが取り入れられている時期でした。
オリンピック競技や世界選手権、ワールドカップなど、大きな世界の大会において、当時の日本は低迷期だったように思われます。期待されながら、なかなかメダルを取れない時期ではなかったでしょうか。
これではいけない。スポーツ先進国に置いて行かれている状況でした。
なかなか大きな大会の本番で、本来の実力を発揮できないで、敗退してしまうことが多かったのです。
それを打破するためにメンタルの強化が叫ばれている時期でした。
そして、近鉄バファローズもメンタルトレーニングを本格的に取り入れようとしていました。
当時の近鉄バファローズは、常に新しいことに挑戦させていただける環境でした。
球団の理解もあり、新しい事、斬新な取り組みについて、広く受け入れていただける素晴らしい球団でした。
ですので私たちも、毎年のように、いろいろな講師を招いて、優勝するために選手と共に学んでいったのでした。
そしてその日も、講師からいろいろな映像を見せていただき、実際の取り組みを見せていただいて、この球団に提案したいこと、野球選手にとって、メンタル面で必要なことなどの講義を受けていました。
私たちコーチングスタッフや選手たちも、メンタルの必要性、その効果に期待をしながら講義を真剣に受けていました。
するとある一人の投手が手を上げました。
そしてこう言い放ったのです。
「先生。さっきから、メンタル、メンタルって言うてはりますけど、先生、5万人の大観衆の前で、甲子園で投げたことあるんですか?
そこでストライク投げたことあるんですか?
僕はそこで、5万人の大観衆の前で、ストライク投げて、打者と勝負して勝ってきているんです。
だから、自分にはメンタルトレーニングなんか必要ありません。
先生、投げたことないのに何でそんなこと言えるの?
あのマウンドで、足ガタガタ震えながら投げたことなんてないんでしょ?
球場が、歓声で揺れてるんですよ。そんな中でやったことないじゃないですか。
なのに、なぜそんなこと言えるの?
全くそんなの信用できません。
先生があの場面で投げたことがあったのなら、信用できるけど。
投げたことないのに信用せいって言われても無理ですわ。信用できませんわ。
メンタルトレーニングなんかいりませんわ。」
会場が凍り付きましたね。講師の先生もタジタジ。まぁそこは先生もメンタルのプロですから、何とかうまく説明されていましたけど。
しかし、その時私は、『まったくその通りだなぁ。この選手の言っていることは、本当にその通りだなぁ。』と強く感じました。
今の時代でもたくさんありますよね。動画でも書籍でも、いろんな人がいろんな形で。
『150kmを投げるための方法、教えます!』
『ホームランバッターになるための方法、伝授!』
などなど。
先ほどの、キャンプでの一場面を経験している私にとっては、この表現が非常に胸に刺さるのです。
『いやいや、あなた150km投げたことないでしょ?』
『あなた、ホームランバッターだったの?』
『ハイレベルの場所で、あなた3割ずっと打ってたの?』
ってどうしても思ってしまいます。
もちろん、実際にプレーする選手と、指導者、医者、科学者などは、立場が違いますし、専門分野もちがいます。そのために、いろいろな角度から研究し分析し解明され、発展しています。
各スポーツも常に進化し、記録も向上しています。
これは選手だけの力では決して成し遂げられなかったでしょう。
しかし、私は、自分がやったことがない事、やろうと思ってできなかったこと、まだ誰も成し遂げたことがないことを子供たちや選手に指導している場合があるんだ、ということを心の片隅に置いて指導しておきたいんです。
そんなことを全く無視して、データーだけで、平気で机上の空論を伝える指導者にはなりたくないと思ったのです。自分が出来ないんですから。
今、各スポーツの現場で指導しているほとんどの人は、そういう人が多いのではないでしょうか。
たぶん、150km自分が投げることが出来ていたなら、今頃、指導者やトレーナーになっていなかったでしょう。
プロ野球で、何回もホームラン王をとるようなバッターだったら、指導者やトレーナーをしていなかったでしょう。
出来なかった人たち、叶わなかった人たちが、教えていることの方が多いのです。
だからこそ、自分が出来なかったことを、やったこともないことを、子供たちや選手に自分は教えているんだということを決して忘れてほしくないのです。
そこを心の片隅においておけば、子供や選手に対する接し方や言葉の使い方が変わってくると思うのです。
自分は、○○の専門家、○○コーチなど、いくらかかげても自分はできなかったんですから。やったことがないことだって山ほどあるんですから。
もっと選手の話を聞いてください。寄り添ってください。
○○の専門家、○○コーチ。私を含め、えらいわけでもなんでもありません。
私も、甲子園で投げたこともありませんし、150kmを投げたことも、打ち返してホームランを打ったこともないですから。
ほとんどの、監督もコーチも、トレーナーも、○○の専門家の方たちもそうでしょう。
自分は出来なかったんですから、やったことがないんですから。自分たちは偉いわけでも何でもありません。
ただ、子供たちや選手たちの夢を、心を込めてお手伝をさせていただいているだけなのです。
いませんか?あなたの近くに。
「何で、そんな事も出来ないんや!」
「何で、そんなボール球振るんや!」
「何で、見送りの三振なんや!」
「何で、フォアボール出すんや、こんなところで!」
って、いつも怒鳴っている人。
こういう指導者を見ると、
『いやいや、あなた、その失敗自分はやったことないの?そんなに完璧な選手やったの?』
って、私は思うのです。『もっと言い方あるでしょ。』って。
厳しく指導するのは、決して悪いことではないと思います。
しかし、いかにも自分はすべてできるかのような、失敗したことなどないような、言葉の使い方は違うと思うのです。
そんな言葉の使い方で、本当に選手はあなたを信頼するのでしょうか?
もしかしたら、選手は心の中で、
『だったら、お前がやってみろや!』
っていつも思っているかもしれませんよ。
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